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創業者である松谷正雄が1956年5月1日に現当社高根沢工場所在地において起業、そして59年に株式会社松谷製作所を設立しました。
地方からでも世の中に貢献できる産業をと考えた結果、当時主流であった鉄製縫合針が医療現場において錆による不便を伴っていたことに着目し、ステンレスを使用した18-8ステンレスアイド縫合針の製造を開始しました。錆びにくくするためにクロムやニッケルを含ませた合金鋼であるステンレス鋼として最も代表的なものがオーステナイト系の18%クロム(Cr)8%ニッケル(Ni)の(18-8)ステンレスです。
これにより「差別化」と「世界一を目指す志」が生まれました。
1956年 | 松谷正雄が現高根沢工場所在地(栃木県塩谷郡高根沢町)において、個人で起業し、鉄製アイド縫合針の製造を開始。 |
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1959年 | 18-8ステンレスのアイド縫合針製造新技術開発に着手し、その技術に対し厚生省国庫補助金を受ける。 株式会社に改組、資本金1,000千円。商号:株式会社松谷製作所と登録。 |
1961年 | ステンレス針を開発。世界で初めて、18-8ステンレス縫合針の製造に成功。 |
1962年 | 通産省、輸出振興試作国庫補助金下附の対象となる。 |
次に取り組んだのはアイレス縫合針です。アイド縫合針で開発されたステンレス針の技術をアイレス針にも活用し、パイプ接着針、次いでパイプ溶接針(針と糸付のための針穴部分を溶接したもの)を開発しました。しかし、そこで満足せずに安全性の追求という面から、溶接ではなく直接針に糸用の穴をあけることはできないかと研究しました。当時、競合他社ではドリルで針に加工を施していましたが、当社のステンレスにはドリル加工が出来ませんでした。そこでレーザーによる穴あけという加工法に行き着きました。
1960年に米国で最初のレーザーが発見されて十数年後、最新技術を搭載した高額なレーザー機を使って針に穴をあけるという行為は、費用対効果の面から見合わないのではないかとの見方が多勢でした。しかし安全性を追求するという揺るぎない信念の下、推し進められたこのレーザードリリング技術の開発研究が、当社の発展の礎となりました。
一方で、会社の存続・発展のため、同じ手術で使用するメスの製造開発を試みました。ところが、メスは、流通にこそ共通性はあるものの、生産技術は全くの別物でした。当社にはアイド縫合針やアイレス縫合針を作るための針金技術はあったものの、板金技術は全くありませんでした。畑違いで失敗し、損失を被る結果となりました。その失敗の教訓を生かし、「極細治療器以外やらない」つまりは、自社の技術、自社の得意技術で勝負することを信条として、針金から作る医療器「極細治療器」に特化することを方針としました。
1966年 |
日本原子力研究所と研究契約を結び、針付縫合糸のCo 60 γ線滅菌の研究を日本で最初に開始。
パイプ接着の針付縫合糸の販売を試みるため、MANIブランドのロゴとコーポレートカラーを黄色と制定。 資本金4,000千円に。 |
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1967年 | パイプ溶接アイレス縫合針の製造、販売を開始、本格的に輸出を拡大する。資本金6,000千円に。 |
1970年 | 高根沢第1工場を新設。 |
1971年 | レーザードリリング技術の研究開始。 |
1975年 |
第14回全国中小企業輸出見本市において、中小企業庁長官より優秀商品賞を授与される。
資本金20,000千円に。 |
「極細治療器」への特化という失敗からの教訓を活かし、アイド縫合針、アイレス縫合針の次に私たちは歯科の根管治療のためのクレンザー、ブローチを開発し、1976年に歯科市場へ参入しました。
また、同時期に従来製品の強化も行いました。アイド縫合針(角針)の切味と切味持続性の研究から、ペンタゴンカットの開発を実現し、他社製品との差別化と販売の強化を図りました。さらに、アイド縫合針、アイレス縫合針の原価低減を目的にプレス研究と仕掛品在庫の共通化を図り、着実な品質向上を目指しました。
1980年頃には特許出願数も増加するなか、産業的に意味が大きい、競合他社を引き離す特許の取得を特許戦略上の指標とし、将来利益の確保を目指しました。
1976年 | 18-8ステンレス製歯科用ブローチを開発、販売。歯科市場参入。 |
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1978年 | 資本金30,000千円に。 |
1979年 | 公衆衛生大会において、公害防止優良企業賞を受賞。 |
1980年 |
高根沢第2工場を新設。
輸出部門を新設し、歯科用リーマ・ファイルの輸出を開始。 |
1982年 | LANによる製造販売時点管理(POP)システムの構築開始。 |
1983年 |
歯科製品の製造技術に対し、科学技術庁長官賞を受賞。
FDI東京大会を機に、歯科用リーマ・ファイルの国内販売を開始。 |
1984年 | 歯科用治療機器の発明に、特許庁長官賞を受賞。資本金48,000千円に。 |
1985年 | 高根沢工場会議棟完成。 |
1986年~90年にかけて、「企業理念」「社訓」「経営基本方針」「営業基本方針」を制定しました。営業基本方針「世界一の品質を世界のすみずみへ」は私たちのアウトプットである製品・サービスに対する方針です。創業間もなくステンレスアイド縫合針が開発された際に、創業者が「これで世界一になる」と宣言したことが由来です。さらに、世界一の品質であれば世界中すべての人々に使ってもらう必要があり、世界中に販売できないと患者から良い治療を提供する機会を奪うことになり申し訳がない、という意味も込められています。
1993年には眼科用滅菌済針付縫合糸で眼科市場へ参入しました。アイレス縫合針は糸メーカーへの部品供給ですが、これは縫合針と糸を組み合わせた完成品です。上市後は切味の良さが評価され、数年で大きなシェアを獲得しました。
1986年 | 「社訓」「経営基本方針」「営業基本方針」を制定。 |
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1988年 |
代表取締役社長松谷貫司が科学技術振興功績者賞を受賞。
歯科製品の特許が科学技術庁「注目発明」に選定される。 「企業理念」を制定。 ダイヤバーを発売。 |
1989年 | (社)中小企業研究センター賞(全国表彰)を受賞。 |
1991年 | 高根沢第3工場を新設。 |
1992年 | 関東地方発明展でマニプラーの意匠登録に特許庁長官賞を受賞。資本金96,000千円に。 |
1993年 |
宇都宮市清原工業団地に清原工場完成。
マニプラー、歯科用ピーソリーマ、眼科用滅菌済針付縫合糸を発売。眼科市場参入。 |
1995年 | 新清原工場稼働。 |
製品の拡大と共に先に知られることになったブランド名MANIと社名とを統一するために、松谷製作所からマニー株式会社に商号を変更しました。
また、95年の超円高を背景に、製品の品質維持と低い生産コストの実現を目指して、ベトナム、ミャンマーに生産拠点を設立しました。
MANI HANOI CO.,LTD.は、工場の増築をくり返し、主力工場に成長しました。
さらに経営の透明性を高め、株価を経営の評価指標のひとつとするため、株式を店頭登録するとともに、2004年には委員会等設置会社(現 指名委員会等設置会社)に移行しました。
1996年 |
「マニー株式会社」に商号変更。
「ISO9001」「CEマーキング」取得。 ハノイ(ベトナム)に合弁会社MANI-MEINFA CO.,LTD. を設立。 |
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1997年 | 清原工場を増設。 |
1998年 | 眼科ナイフを発売。 |
1999年 | ヤンゴン(ミャンマー)にMANI YANGON LTD.を設立。 |
2000年 |
当社が保有する縫合針特許権に対する侵害裁判において勝訴。
資本金323,335千円に。 |
2001年 | 資本金665,635千円に。日本証券業協会に株式を店頭登録。 |
2002年 | 清原工場を増設。 |
2003年 |
ハノイ(ベトナム)にMANI-MEINFA CO.,LTD.の工場を増設。
ハノイ(ベトナム)にMANI HANOI CO.,LTD.を設立。 |
2004年 | 委員会等設置会社(現 指名委員会等設置会社)に移行。ISO14001(環境マネジメントシステム)、OHSAS18001(労働安全衛生マネジメントシステム)の同時認証取得。 |
ベトナム、ミャンマーに続き、カントリーリスクを回避するため、第3の生産拠点としてラオスに生産工場を設立しました。さらに新興国でのマーケティングを強化するため、ベトナム、中国に販売拠点を設けました。
また、先進国での新製品投入を加速化するため、ドイツの歯科修復材リーディングカンパニー、GDF Gesellschaft für dentale Forschung und Innovationen GmbHを子会社化しました。
2006年 | 本店所在地を高根沢工場から清原工場に変更。 |
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2007年 | 清原本社工場増築完了。 |
2008年 | 第8回ポーター賞受賞。(中堅・中小企業の部) |
2009年 |
ビエンチャン(ラオス)にMANI VIENTIANE SOLE CO.,LTD.を設立。
MANI-MEINFA CO.,LTD.を、MANI HANOI CO.,LTD.に統合。 |
2010年 |
ハノイ(ベトナム)にMANI MEDICAL HANOI CO.,LTDを設立。
栃木県宇都宮市にマニー・リソーシズ株式会社を設立。 |
2011年 | 東京証券取引所市場第二部に上場。 |
2012年 |
東京証券取引所市場第一部に指定。
北京(中国)に馬尼(北京)貿易有限公司を設立。 |
2015年 | ドイツ Schütz Dental Group(Schütz Dental GmbH 及び GDF Gesellschaft für dentale Forschung und Innovationen GmbH)を子会社化。 |
2017年 | デリー(インド)に MANI MEDICAL INDIA PRIVATE LIMITEDを設立。 |
2017年 | ベトナムに MANI HANOI CO.,LTD.フーエン第2工場を新設。 |
2018年 | ドイツ Schütz Dental GmbHの株式を譲渡。 |
2022年 | 東京証券取引所プライム市場に移行。 |
2023年 | クアラルンプール(マレーシア)にMANI MEDICAL DEVICE MALAYSIA SDN. BHD. を設立。 |
2024年 | カリフォルニア州(アメリカ)にMANI MEDICAL AMERICA, INC.を設立 |